セルジオオリバは、名誉高きボディビルコンテスト「ミスターオリンピア」の2代目王者として3連覇を果たした殿堂入りボディビルダーです。
この記事では、「妻に銃で撃たれても自分で運転して病院に行った」「アーノルド・シュワルツェネッガーとの確執がある」など、セルジオオリバの様々な伝説・逸話が本当なのか解説していきます!
「セルジオオリバ」と「ビスケットオリバ」との関係性
「セルジオオリバ」と「ビスケットオリバ」の関係性についてご存知でしょうか?
ここでは、セルジオオリバの人物像と、『グラップラー刃牙』に登場するビスケットオリバのモデルとの関係について詳しく解説します。
- セルジオオリバの人物像
- 漫画『グラップラー刃牙』のビスケットオリバのモデル
セルジオオリバの人物像
セルジオオリバは1960年代後半に活躍したキューバ出身のプロボディビルダーです。
その細いウエストと分厚い腕・脚から成るプロポーションが特徴的で、ミスターオリンピアを3連覇しています。
- 本名:セルジオ・オリバ(Sergio Oliva)
- 出身地:キューバ共和国 グアンタナモ
- 生年月日:1941年7月4日
- 身長:178cm
- 体重:約109kg
- 職業:プロボディビルダー、警察官
漫画『グラップラー刃牙』のビスケットオリバのモデル
セルジオオリバは漫画『グラップラー刃牙』に登場する「ビスケット・オリバ」のモデルになっています。このキャラクターは、セルジオ・オリバの象徴的な要素を投影し、ファンの間でも非常に人気があります。
セルジオ・オリバは、アーノルド・シュワルツェネッガーを唯一打ち負かしたことで知られるボディビル界のレジェンドで、圧倒的な体格やカリスマ性は、現実とフィクションの双方で高く評価されています。ビスケット・オリバも、そうした存在感を体現し、読者に強い印象を与え続けています。
セルジオ・オリバの特徴的な肉体やシンボル的なポージング、伝説的な逸話、ボディビル界でのカリスマ性など、各要素がビスケット・オリバにどのように反映されているかを以下の表にまとめました。
特徴 | 具体例 |
---|---|
圧倒的な肉体とサイズ | セルジオ・オリバは厚い筋肉と整った体格が特徴で、「ミスター・オリンピア」に輝きました。ビスケット・オリバも巨体ながらバランスが取れた存在感を放っています。 |
シンボル的な「オリバ・ポーズ」 | セルジオ・オリバの「オリバ・ポーズ」は、ビスケット・オリバが同様のポーズをとるシーンに反映され、象徴的な強さを際立たせています。 |
超人的な強靭さの設定 | セルジオ・オリバは銃撃を受けても自力で病院に向かった逸話があり、ビスケット・オリバの耐久力と不屈の精神に投影されています。 |
ボディビル界でのカリスマ性 | セルジオ・オリバはアーノルド・シュワルツェネッガーを倒した伝説的存在で、ビスケット・オリバも作中で一目置かれるカリスマ性を持っています。 |
ビスケット・オリバのようなキャラクターを通じ、セルジオ・オリバの影響力は漫画の世界にも根付いています。『刃牙』シリーズにおいても、このような背景を持つキャラクターは特別な存在として描かれ、物語に深みを与えています。
セルジオオリバの伝説・逸話を紹介
ここからはセルジオオリバが残した伝説・逸話を7つ紹介していきます。
- ①妻に銃で撃たれても平気だった
- ②セルジオオリバの筋肉を見て観客がゲロを吐いた
- ③ライバルが全員辞退して不戦勝した
- ④セルジオオリバはステロイドを使用していた?
- ⑤アーノルド・シュワルツェネッガーと確執があった?
- ⑥息子のセルジオオリバJrとは?
①妻に銃で撃たれるが平気だった
セルジオ・オリバに関する伝説的な事件として知られるのが、1986年に発生した銃撃事件です。
ある日夫婦喧嘩の末に、妻に至近距離で38口径のリボルバー5発を撃たれてしまいます。
しかし、セルジオは自ら車を運転して病院に向かい治療を受け、命を取り留めたといわれています。その後の回復力も凄く、刃牙の漫画の中でも散弾銃で撃たれたビスケット・オリバが、食事をとりながら驚異的な速度で回復するシーンが描かれています。
銃撃事件は、彼の並外れた強靭さを象徴するエピソードとして語り継がれています。
②セルジオオリバの筋肉を見て観客がゲロを吐いた
あるコンテストでセルジオオリバがマスキュラ―ポーズをしたところ、観客の女性があまりの筋肉の凄さにゲロを吐いてしまいました。
このエピソードからも、セルジオオリバは当時では考えられないほどの筋肉量を持っていたことがわかります。
③ライバルが全員辞退して不戦勝した
セルジオオリバがミスターオリンピアで初優勝した翌年、オリンピアに出場したのはオリバだけでした。
セルジオオリバのあまりの筋肉量に、ライバルたちはオリバに勝つ自信がないという理由で続々と辞退し、史上初、不戦勝での優勝を飾りました。
④セルジオオリバはステロイドを使用していた?
アナボリックステロイドがボディビルダーの間で使われ始めたのは1960年代前半と言われています。
セルジオオリバが1960年代に活躍していた選手ということを考えると、現役時代にはすでにステロイドは認知されていました。
当時のボディビルダーの中でも筋肉量が異常だったことから、セルジオオリバがステロイドを使用していた可能性はあります。
セルジオオリバは引退後のインタビューで「今のボディビルダーは言葉にできない物(ステロイド)を使っている」と話しています。
しかしながら、「ステロイド」という直接的なワードを使用していない発言から事実かどうかは不明です。
⑤アーノルド・シュワルツェネッガーと確執があった?
セルジオオリバとよく比較に出されるのが「アーノルド・シュワルツェネッガー」です。アーノルドと直接対決で唯一勝利して優勝を果たしたことで知られています。
初対決ではアーノルドに勝利したものの、翌年以降はアーノルドの無敗が続き、オリバは内心納得がいっていなかったと言います。
しかしのちに、「アーノルドは良きライバルであり、親しい友人だ」と話しており、オリバの紳士な一面が見られました。
⑥息子のセルジオオリバJrとは?
セルジオオリバには「セルジオオリバジュニア」と呼ばれる息子がいます。彼もまた現役ボディビルダーです。
2015年にIFBBプロカードを取得し、2017年にはNY PROで優勝を果たすも、初出場のミスターオリンピアでは16位と成績が奮いませんでした。
その後は手術のため競技からは離れていましたが、昨年2023年にコンテストに復帰しました。これからの活躍が楽しみな選手です。
セルジオオリバの半生
セルジオオリバは輝かしい成績を収めたレジェンドボディビルダーですが、現代では考えられない経験をしてきています。
ここからはオリバの半生を振り返っていきましょう。
- (1)幼少期~青年期
- (2)ウエイトリフターとして活動開始
- (3)ボディビルダーとしての活動開始
- (4)ミスターオリンピア3連覇の偉業達成
- (5)アーノルド・シュワルツェネッガーに敗れる
- (6)ボディビルダーと警察官を両立
- (7)ミスターオリンピア復帰
- (8)セルジオオリバの晩年」
(1)幼少期~青年期
セルジオオリバが誕生したころのキューバは、キューバ革命の真っただ中でした。
実家は決して裕福ではなかったため、12歳のころからサトウキビ畑で父親の手伝いをして過ごしていました。
16歳の時にキューバ革命は成功に終わり、その後は地元の海で時間を潰すようになります。
(2)ウエイトリフターとして活動開始
セルジオオリバがある日いつものようにビーチで日光浴をしていた時、プロ重量挙げのマネージャーに声を掛けられます。
頭上まで90kgのバーベルを持ち上げたことで才能を見出され、ウエイトリフターとしての活動を開始します。
そのわずか3カ月後に重量挙げのキューバ記録を更新し、1961年には重量挙げのキューバ代表に選出されることになり上り調子に活動を続けます。
(3)ボディビルダーとしての活動開始
アメリカへ亡命後、FBIの保護観察を経てフロリダからシカゴに移り住むことになります。
ウエイトリフターとして数々のタイトルを獲得してきたオリバですが、本心はボディビルに興味がりました。
当時は政治的な理由でボディビルコンテストに出場できなかったのですが、シカゴに移り住むことでボディビルダーとしての活動ができるようになります。
この時のオリバは「ミスターアメリカ」という全米NO.1のタイトル獲得を目標に据えてトレーニングしていました。
(4)ミスターオリンピア3連覇の偉業達成
ミスターアメリカに挑戦し続けていたものの、タイトル獲得できない年が続きます。
フェアな審査が行われているか疑問視していたオリバは、所属団体をAAUからIFBBへと変え、別団体で活動するようになりました。
結果的にこの判断は正しく、1966年から最高のタイトルである「ミスターオリンピア」で3連覇を飾りました。
(5)アーノルド・シュワルツェネッガーに敗れる
1968年、セルジオオリバはアーノルド・シュワルツェネッガーを退けてミスターオリンピアで優勝します。
ライバル関係になったアーノルドとは翌年以降も直接対決をしますが、ここから一度もリベンジすることができず、アーノルドの時代がやってきます。
(6)ボディビルダーと警察官を両立
1975年から2003年までの28年間、シカゴ警察で働きながらボディビルダーとしての活動を続けていました。
14時間警察官として勤務した後にトレーニングするという生活を続けていたオリバ。いかに体力が並外れていたことがわかりますね。
(7)ミスターオリンピア復帰
1984年にセルジオオリバはミスターオリンピアに復帰し、8位入賞を果たします。
しかし実際は8位に入賞できる体ではなかったため、「忖度があったのではないか」とバッシングを受けることなりました。
(8)セルジオオリバの晩年
ボディビルダー引退後は本を出版したり、世界中を飛び回ってフィットネス業界を盛り上げる活動をしました。
ボディビルダーとして過度なトレーニングや食生活を続けていたために、腎不全で2014年に享年71歳で生涯を終えました。
セルジオオリバのコンテスト成績を紹介!
セルジオオリバのコンテスト成績は以下の通りです。
スクロールできますwikipedia
1963年 Mr Chicago 優勝 Mr Illinois 優勝 1964年 Mr America 7位 AAU 主催 Junior Mr America 2位 AAU 主催 1965年 Mr America 4位 AAU 主催 Junior Mr America 優勝 AAU 主催 1966年 Mr America 2位 AAU 主催 ミスターワールド オーバーオール優勝 IFBB 主催 ミスターユニバース 優勝 IFBB 主催 ミスターオリンピア 4位 IFBB 主催 ミスターオリンピア 優勝 IFBB 主催 1967年 ユニバース オーバーオール優勝 IFBB 主催 ミスターオリンピア 優勝(不戦勝) IFBB 主催 1968年 ミスターオリンピア 優勝 IFBB 主催 1969年 ミスターワールド 2位 AAU (Pro) 主催 1970年 ミスターオリンピア 2位 IFBB 主催 ユニバース 2位 NABBA (Pro) 主催 1971年 ミスターオリンピア 2位 IFBB 主催 1972年 Mr Galaxy 優勝 WBBG 主催 Mr International, Mr Azteca[citation needed] 優勝 IFBB (Pro) 主催 1973年 Mr Galaxy 優勝 WBBG 主催 Mr International 優勝 WBBG (Pro) 主催 1974年 Mr Olympus 優勝 WBBG 主催 1975年 Mr Olympus 優勝 WBBG 主催 1976年 Pro World Championships 優勝 WABBA 主催 1977年 Mr Olympus 優勝 WBBG 主催 1978年 Pro World Championships 優勝 WABBA 主催 1980年 Professional World cup 優勝 WABBA 主催 Professional World Cup 優勝 WABBA 主催 1981年 ミスターオリンピア 8位 IFBB 主催 1984年 Professional Mid-States Championships 優勝 WABBA 主催 ミスターオリンピア 8位 IFBB 主催 1985年 ミスターオリンピア 8位
セルジオオリバは所属ボディビル団体をAAU→IFBB→WBBG→WABBAへと移行しています。
とくに有名なIFBBではミスターオリンピアで3連覇を果たすなど、偉業を成し遂げています。
セルジオオリバのトレーニングメニューを紹介!
セルジオオリバの肉体美を作り上げたトレーニングを紹介していきます。
セルジオ・オリバのトレーニングは1回2〜3時間の長時間で、週6日実施し、週1日休むスケジュールで行われていました。
曜日 | トレーニング部位 |
---|---|
月曜日 | 胸・背中 |
火曜日 | 肩・腕 |
水曜日 | 脚・腹筋 |
木曜日 | 胸・肩・背中 |
金曜日 | 背中・腕 |
土曜日 | 脚・腹筋 |
日曜日 | オフ |
各部位を週2回鍛えることで、十分な刺激と回復を両立させていました。
以下では、曜日ごとのトレーニングメニューについて詳しく解説していきます。
月曜日:胸・背中
ベンチプレス&チンニング(スーパーセット)6セット(1セット8回)
ダンベルフライ&ディップス(スーパーセット)5セット(1セット15回)
月曜日はスーパーセットで短時間で高負荷のトレーニングを行います。
トップビルダーの多くが背中トレーニングとしてチンニングを取り入れている通り、セルジオオリバもまた好んでいました。
火曜日:肩・腕
ショルダープレス5セット(1セット15回)
バーベルカール5セット(1セット5回)
フレンチカール5セット(1セット5回)
バーベルスコットカール5セット(1セット10回)
ダンベルスコットカール5セット(1セット5回)
ダンベルフレンチプレス5セット(1セット5回)
プレスダウン5セット(1セット15回)
セルジオオリバの腕トレーニングはカール種目を中心に構成されています。
また全種目合計35セットで組んでおり、ボリュームはかなり多めにこなしていたことがわかります。
水曜日:脚・腹筋
シットアップ10セット(1セット50回)
レッグレイズ5セット(1セット20回)
サイドベント5セット(1セット200回)
スクワット5セット(1セット5回)
スタンディングカーフレイズ10セット(1セット8回)
セルジオオリバの腹筋種目は主にシットアップ(腹筋)とサイドベントを中心に構成されています。
サイドベント1セットで200回こなすからこそ、オリバの腹斜筋が出来上がっているのですね。
木曜日:胸・肩・背中
ベンチプレス5セット(1セット5回)
バックプレス5セット(1セット5回)
ローイングマシン5セット(1セット12回)
ダンベルプレス5セット(1セット8回)
ディップス5セット(1セット8回)
木曜日は合計セット数が30セットと、比較的少なめで構成されています。
主にベンチプレスやダンベルプレスで胸を鍛えつつ、コンパウンド種目だからこそ肩回りもセットで狙っていました。
金曜日:背中・腕
ナローベンチプレス3セット(1セット5回)
スコットカール3セット(1セット5回)
フレンチカール3セット(1セット5回)
ダンベルカール3セット(1セット5回)
ビハインドネックチンニング5セット(1セット5回)
クローズグリップチンニング5セット(1セット5回)
スコットカールは別名、バーベルプリ―チャーカールとも呼ばれています。
金曜日は二頭筋と三頭筋をまんべんなく鍛えており、背中はチンニングのみを計10セット行います。
土曜日:脚・腹筋
スクワット6セット(1セット3回)
フロントスクワット5セット(1セット10回)
ライイングレッグカール5セット(1セット12回)
シットアップ5セット(1セット10回)
レッグレイズ5セット(1セット10回)
サイドベント5セット(1セット50回)
土曜日は脚トレ中心のメニューを組んでおり、最初にスクワットを計11セット行います。
1セット3回ギリギリできるくらいの高重量スクワットをこなし、毎回追い込んでいたようです。
日曜日:オフ
日曜日は一週間で唯一のオフです。オフの日にしっかりと休養を取って、筋肥大につなげます。
セルジオ・オリバの食事メニューを紹介!
ボディビルダーは基本的にクリーンな食事でバルクアップすることが多いです。
しかし、セルジオオリバは減量中でもホットドッグやハンバーガーなどを食べており、上手くストレスとのバランスを保っていたようです。
1食目 | 卵白12個、オートミール1カップ |
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2食目 | 魚226g 、白米1合、マグロ |
3食目 | ステーキ340g 、サラダ、白米1合 |
4食目 | 鶏ムネ肉2枚、オートミール2カップ、野菜 |
5食目 | 魚226g 、サラダ、野菜 |
6食目 | 卵白10個、白米1カップ、マグロ |
トレーニング中は水筒に温かいコーヒーを入れて飲んでおり、カフェインによる覚醒効果と発汗作用を利用してトレーニング強度を上げていました。
セルジオオリバの心に響く名言集
セルジオオリバは数々の名言を残していますが、ここではそのうちのいくつかを紹介します。
以下はセルジオオリバのボディビルに対する強烈な情熱と独自の道を切り開いた経験を凝縮した名言です。
他の誰でもない。自分で自分の肉体、自分のルーティンーそう、自分のすべてを作り上げたんだ。強烈な経験だったよ。
Wikipedia
上記の名言からは、自分の限界に挑戦し、自らの手で成し遂げた成果に対する誇りが感じられます。
自分自身を成長させ、理想とする肉体を作り上げることにおいて、彼の信念と強さが伺えますね!
以下は、いかにボディビルという競技に情熱を注ぎ、そのすべてを生きる理由として捉えていたかが表れたセルジオオリバの名言です。
私はボディビルのすべてを愛している。ボディビルが私にとっての人生なんだ。
Wikipedia
上記の名言から単なるスポーツや肉体改造を超えた深い愛情が感じられます。
ボディビルは、セルジオにとって単なる仕事や活動ではなく、日常のすべてに息づく生き方そのものだったのでしょう!
セルジオオリバのまとめ
今回はセルジオオリバの伝説や経歴、トレーニングや食事メニューを紹介してきました。
妻に至近距離で38口径のリボルバー5発を撃たれた後、自分で車を運転して病院へ向かったエピソードからもオリバの強靭な肉体ぶりが伝わってきます。
今後も、海外ボディビルダーについて紹介していくのでぜひご覧ください。
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